INTERVIEW

2017.01.10

Interview – 写真家/宇田川 直寛

制作中のアトリエのようなこの空間は一体何なんだろう?
今回の展示作家である宇田川直寛の魅力に迫るべくQUIET NOISEスタッフがインタビューを行いました。

ー宇田川さんが写真を撮り始めたきっかけや、現在に至るまでの歩みについて教えてください。
宇田川 : 小中高時代は絵を描くことが好きで、単に落書きをしたり、漫画家に憧れていた時期もありました。描くだけでなく、観ることもすきでした。漠然と「芸術家になりたい」と考えてみるものの、一方で「でも、芸術家って何?どうやって生きているの?」という疑問もあり、真剣に目指すことはありませんでした。
その後は(美大ではなく)文系の大学に進学し、普通に生きていくつもりでしたが、次第に「何かを創りたい」という気持ちが強くなっていきました。美術の専門教育を受けていない、デッサンができない自分には何ができるだろう?そう考えた末に、撮れば写る「写真」という表現に行き着きました。そういえば小学校の頃、粘土で作った怪物がミニカーを壊すといった遊びをしていて、その情景を写真に撮っていたことがありました。思い返せばその当時から「何かを残したい」という想いがあり、その手段として写真を用いていたのですね。

撮り始めた当時(20歳頃)は、佐内(正史)さん・(川内)倫子さん・HIROMIXさんといった写真家が活躍する時代で、自分の生活のなかで撮影することがリアルだという潮流がありました。
(その流れを汲んで)実際に自分でも撮影してみたのですが、撮ることが何になるのかわからない。何を(被写体にして)撮ってもしっくりこない。そもそも、何を撮っていいかわからない。撮ったところで何なのだろう?撮りたいと思うものもなく、撮ったものが一体何なのか?撮ったものをまとめること自体、全く想像がつきません。写真を撮るという行為が、思っていたことより簡単ではないと思い知らされました。

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いろんなことを試しては自分にできないことを発見する。その反復の末、最後に残ったことが自分にできることでした。具体的には、2010年の初個展に向けた制作の中で、ようやく「自分にできることはこれだ!」という感覚をつかみました。それの答えとは、「自問自答」という方法論でした。これまで自問自答の先に答えを見つけようとしていたけれど、自問自答そのものが自分のできること、言わばライフワークだということを見出したのです。これが解ったことで、すうっと落ち着きました。これまでは自分の外に目を向け、外の世界との関わりのなかで題材や対象を求めていたのですが、自分のなかにしか答えを求められないということを理解しました。自分の外も内もない。感じているそのものが世界だったのです。この感覚を得て、ようやく制作スタイルが確立し、作家としての初めの一歩となりました。

2012年に発表した「Images」というシリーズは、身近な対象に目を向けたことで始まった作品です。まずは部屋にカメラだけを持って行って入る。対象(=被写体)もなければ、撮る理由もない。その状況で、何を生み出すことができるか?何をするのだろうか?という試みです。
それまで僕は、写真は一連を通した物語がなければならないと思い込んでいました。しかし、部屋のなかを見渡してみると、散乱したゴミとなった印画紙やミスプリントがきれいなことに気付きました。破れたりクシャクシャになった紙片はもはやそれ自体では意味を持たず、ただいい感じの塊でありモノでしかないのです。この紙片を使って、何の意味も持たないモノを作る。それをテーブルの上に置いて即興的にひたすら組み替え続けは撮影をしていきました。

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※Imagesシリーズより

僕はファウンドフォトやチラシのような既存の印刷物には興味がなく、自分に近いもの、自分の痕跡が残ったものに愛着がわきます。だから、ネタ(=被写体となった紙片)も自らが出したゴミである必要があリました。自分自身をサンプリングするという行為自体が自問自答的なのです。自分の中でサイクルが完結するということによって、その行為はいつでも・どこでも遂行可能です。常にそれをやり続けたいという欲求を満たしてくれます。
行為を始めるということはとても難しいことです。サイクルなのでどこからかは始めなければいけないのですが…。何をもって「始まり」と言えない代わりに、僕にとっては自問自答の格好の動機になりうる。ここから始まるのです。そもそも答えを出すことに興味がないので、知らなくてもいい・出なくてもいいい心構えで問い続けるという生き方が面白いと感じています。(推理小説の主人公)シャーロック・ホームズは必ず事件を解決します。その過程においては、読者はワクワクする状態が続いています。僕に関しては、結論よりもその過程の段階でワクワクすることのほうがより大切なのです。

もうひとつ、大切なことがあります。それは、僕の話していること・やっていることは一筋の延長線上にはないということ。そもそも、一直線上にあるということはありっこない。「1から順に組み立てていった答え」という考えが信じられません。ゴールに向かって理由を作ることも、そもそもゴールなどないのでは?と、今ひとつ腑に落ちないのです。
それよりも、いろんな論理的根拠が点在し、それぞれが矛盾したり思いがけないところで繋がったりする。その総体としてひとつの何かがあらわれるのではないでしょうか。矛盾と矛盾とが共存するというあり方を肯定しています。

ー今回の展示について教えてください。
宇田川 : 「Assembly」シリーズは、自問自答の地に近い、ライフワーク的とも言える作品です。「Images」シリーズとほぼ同時期に生まれたのですが、もっとまとまりがなく意味がない。目的や理由を持たず、即興的に遊ぶゲーム的要素が強いものです。
これをネタにした本展の大きな特徴は、「展示会場を作る」という試みそのものが作品だという点です。展示そのものの完成を目指さない。それよりも、完成と行程の行き来のなかにしか存在しないものが重要なのです。

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ー宇田川さん、ありがとうございました!!

■展示の詳細はこちらからどうぞ■
http://www.quietnoise.jp/event/utagawa-naohiro-exhibition-assembly.html

■宇田川さんに興味を持ってくださった方は是非こちらもどうぞ■
2013年に刊行された写真集「DAILY」制作に関するインタビュー記事
http://spacecadet.jp/interview/utagawa.html

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【 インタビュー・テキスト : 錦 多希子 (にしき たきこ) 】
1984年東京生まれ。2012年より東京・恵比寿にあるアートブックショップ+ギャラリーPOSTに勤務。店頭対応のほかに、ウェブサイト上で新着本の紹介を更新する。その傍らに、CLUÉL hommeやPen onlineでの連載、nostos booksのwebコラムなどの執筆を手がける。
QUIET NOISEではスタッフとして月に1回、店頭に立っている。
http://www.post-books.info

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